アムネリスとケペル@中日王家
2005年2月23日ケペルの話の前にちょっと寄り道。
えーと、日本語が不自由で申し訳ないんですが、「三角関係」って、いったいどういう状態のことを指すんですか?
「王家に捧ぐ歌」の主役3人の恋物語は「三角関係」ですか?
中日版「王家に捧ぐ歌」の主役3人の恋物語は「三角関係」ですか?
中日ラダメス将軍、アムネリス様のこと、まったく相手にしてないよね???
アイーダのことしか見えてないよね???
それって「三角関係」ですか??
「王家に捧ぐ歌」。ラダメスとアイーダとアムネリスの恋物語。
アイーダはラダメスが好き。
アムネリスもラダメスが好き。
アムネリスと結婚するはずだったラダメスが、アイーダに惹かれ、ふたりの間で揺れ動き、アムネリスを拒否して、アイーダと共に死んでいく。
これは三角関係といっていい。よね。うん。
だけど、中日王家はそうじゃなかった。
ラダメス将軍、最初から最後まで、アイーダのことしかみてない。
アムネリスのこと、まったく相手にしてない。
アムネリスがキスをせまっても、ただ困惑するだけで、よろめきもせず(初演東京後半はややよろめきかけてたよねえ?)。
アモナスロがアムネリスに近づいていっても、最初ちょっとかばうだけで、後は放置(笑)(初演東京後半はもう少しかばってくれてたよねえ?)。
おかげでアムネリスも望みを失っているのか、ラダメスがファラオにアイーダとのことを言い出そうとした時、アムネリス様すっごいひきつった顔して「ラダメスあなた…!」の声にも悲愴感があふれてて。
そんなん「三角関係」じゃないじゃないですか。
アムネリスは、ラダメスとアイーダの間に横たわる障害ではあっても、それ以上にはなりようがないじゃないですか。
それはちょっとなあ。
で。ケペルの話です。
私が「ここが初演王家のいちばんキモだと思う!」のは、ケペアムなんですよー。
(極個人的な見解ですけど)(極少数派ですけど)(それはわかっていますけど)
ラダメスを失い、父王を亡くし、それまでの価値観を根底から突き崩されてしまったアムネリス。
そんな何もかも失ったアムネリスが、そこで立ち上がり、自ら王となり、無理だとわかっていてもそれでも、高らかに平和への願いを宣言する。
アムネリス様ちょーかわいそー。ですよ。
でもね、初演版では、そんなかわいそうなアムネリス様のそばには、常にしいケペルがひかえているのですよ。
ラダメスが「エチオピアに解放を!」と言い出した時、激昂するアムネリスの横で、同じように、あり得ないくらい感情高ぶらせて号泣しながらラダメスに疑問をぶつけるケペル。
地下牢に沈んでいくラダメスの姿に、アムネリスが堪えきれず取り乱してしまった時、身体をはって止めてくれたケペル(とメレルカ)。
呆然とラダメスが沈んでいった地下牢の入り口をみつめるアムネリスを、泣きながら寄り添って見守るケペル。(←ここ重要!!!)
あの流れだと、ファラオとなったアムネリスのパートナーになるのは、まあ間違いなくしいケペルですよね。
ケペル自身はファラオにならず、ファラオアムネリスのパートナーとして、陰からアムネリスを支えてくれるんですよ。
エジプトのファラオとして君臨するアムネリスを、あの太陽みたいな笑顔で包み込んで癒してくれるんですよ。
(思いっきり横道それますが、アムネリスが取り乱すとこ、いくら緊急事態とはいえ、ケペルさんためらいもせずにアムネリスファラオに触れる…どころか思いっきり抱きとめるなんてスゴイですよね。ファラオと臣下の壁をさくっと超えちゃうのがいいですよね。そこがケペルのラダメスとは違うとこですよステキ…!!)
いずれ、ケペルとの穏やかな日々を経て、アムネリスにも、ラダメスとアイーダのあの盲目的な恋を、わだかまりなく許せる時が来て、そこで漸くあの三角関係にも最終決着がつく。
ファラオとなったアムネリスを隣りで支えるケペルの存在があるからこそ、アムネリスの辛い経験も、ラダメスへの叶わぬ恋もいずれ(若い日の切ない恋の思い出というには重過ぎるけれど、けれど)、ひとつの思い出に昇華していくわけで。
ああすごい萌えます。ケペアムダイスキ。うっとりーv
ところが、中日版では、アムネリス様にとって救いだった、あのケペルの存在が無くなってしまった。
中日嶺ケペルは、自分のことで精一杯で、アムネリス様どころじゃないもん(笑)(嶺ケペルはそこがいいんですけどね。嶺ケペルも好きなんですよ)。
ラダメスは、アムネリスのことかけらも相手にしないまま死んでいったし、もうなんだか、救いが無さ過ぎて痛々しいです、中日アムネリス様。
もうあの先、恋なんてできなさそうだもん。夢も希望もない。
って、そんなのやだっ!
アムネリスがかわいそうすぎるー!
というわけで。
中日王家は、私にとっては、3人の恋物語ではなく、2人の恋物語(+かやの外の人ひとり)でした。
そんでもって、そのかやの外の人が痛々しすぎるんで、見ていてちょっと辛いというか、カタルシスが得にくいというか……もごもごもご。
ぶっちゃけ、初演で萌えに萌えた「アムネリスのラダメスへの恋」に、今回はまったく萌えられませんでした。(それは檀ちゃんのせいでもどのキャストのせいでもなく、観てる私のせいですけども)
けれどまあ、そのおかげで物語の筋立てがすっきりしたのも事実。
幕開け3500年後でエチオピア人たちが歌う「♪いま歌おう 2人の物語を 愛しあう2人の物語を」っていうのが、漸く私の中でストンとハマりました。
王家は、やっぱりラダメスとアイーダ、2人の話なんですよねえ。漸く気づいた。
今思えば初演版は、役が無いとか言われつつも、それでも(中日版よりは)群像劇に近い印象だったんですよね。
それはやっぱり、ウバルドとか、サウフェとか、キャラが(やたらと)立っていたからなんだろうな、と。
そういう意味でも、いろいろ不在を感じてしまった中日王家でした私にとっては。
それは、中日版のキャストがダメとかそういうわけではまっったくなくて、単に初演版への思い入れが強すぎるからです。為念。
っていうか。
ケペルなんて、端役じゃないですか(さくっと)。
本来的には居なくたってなんとでもなる役ですよ、ケペル。 こうやって「ケペアムあってこその王家!」とかいってる人も極少数いますがね。
まあそんな端役っぷりは重々承知でケペルウォッチをしているつもりだったのに、そんな端役のケペルの役作りが違うことで(もちろんそれだけではないにせよ)こんなにも物語の全体印象が変わるとは、しい担サトリは心底驚きました。
そして、あたしはどんなにしいケペルが好きだったか、いまでも好きか、ってこと、思い知らされました。
はーい、あたし結婚するなら、しいケペルさんみたいなひとがいいですー(素)。
(嶺ケペルがダメとかそういうわけではまっったくないですから為念!)(舞台写真も買いました。ケペメレカマサウのフィナーレ4人並びのやつ)
というわけで、次のテーマは「ケペルさんとたつきさん」です。えー?まだやるの? だって語るなら今しかないじゃん?
えーと、日本語が不自由で申し訳ないんですが、「三角関係」って、いったいどういう状態のことを指すんですか?
「王家に捧ぐ歌」の主役3人の恋物語は「三角関係」ですか?
中日版「王家に捧ぐ歌」の主役3人の恋物語は「三角関係」ですか?
中日ラダメス将軍、アムネリス様のこと、まったく相手にしてないよね???
アイーダのことしか見えてないよね???
それって「三角関係」ですか??
「王家に捧ぐ歌」。ラダメスとアイーダとアムネリスの恋物語。
アイーダはラダメスが好き。
アムネリスもラダメスが好き。
アムネリスと結婚するはずだったラダメスが、アイーダに惹かれ、ふたりの間で揺れ動き、アムネリスを拒否して、アイーダと共に死んでいく。
これは三角関係といっていい。よね。うん。
だけど、中日王家はそうじゃなかった。
ラダメス将軍、最初から最後まで、アイーダのことしかみてない。
アムネリスのこと、まったく相手にしてない。
アムネリスがキスをせまっても、ただ困惑するだけで、よろめきもせず(初演東京後半はややよろめきかけてたよねえ?)。
アモナスロがアムネリスに近づいていっても、最初ちょっとかばうだけで、後は放置(笑)(初演東京後半はもう少しかばってくれてたよねえ?)。
おかげでアムネリスも望みを失っているのか、ラダメスがファラオにアイーダとのことを言い出そうとした時、アムネリス様すっごいひきつった顔して「ラダメスあなた…!」の声にも悲愴感があふれてて。
そんなん「三角関係」じゃないじゃないですか。
アムネリスは、ラダメスとアイーダの間に横たわる障害ではあっても、それ以上にはなりようがないじゃないですか。
それはちょっとなあ。
で。ケペルの話です。
私が「ここが初演王家のいちばんキモだと思う!」のは、ケペアムなんですよー。
(極個人的な見解ですけど)(極少数派ですけど)(それはわかっていますけど)
ラダメスを失い、父王を亡くし、それまでの価値観を根底から突き崩されてしまったアムネリス。
そんな何もかも失ったアムネリスが、そこで立ち上がり、自ら王となり、無理だとわかっていてもそれでも、高らかに平和への願いを宣言する。
アムネリス様ちょーかわいそー。ですよ。
でもね、初演版では、そんなかわいそうなアムネリス様のそばには、常にしいケペルがひかえているのですよ。
ラダメスが「エチオピアに解放を!」と言い出した時、激昂するアムネリスの横で、同じように、あり得ないくらい感情高ぶらせて号泣しながらラダメスに疑問をぶつけるケペル。
地下牢に沈んでいくラダメスの姿に、アムネリスが堪えきれず取り乱してしまった時、身体をはって止めてくれたケペル(とメレルカ)。
呆然とラダメスが沈んでいった地下牢の入り口をみつめるアムネリスを、泣きながら寄り添って見守るケペル。(←ここ重要!!!)
あの流れだと、ファラオとなったアムネリスのパートナーになるのは、まあ間違いなくしいケペルですよね。
ケペル自身はファラオにならず、ファラオアムネリスのパートナーとして、陰からアムネリスを支えてくれるんですよ。
エジプトのファラオとして君臨するアムネリスを、あの太陽みたいな笑顔で包み込んで癒してくれるんですよ。
(思いっきり横道それますが、アムネリスが取り乱すとこ、いくら緊急事態とはいえ、ケペルさんためらいもせずにアムネリスファラオに触れる…どころか思いっきり抱きとめるなんてスゴイですよね。ファラオと臣下の壁をさくっと超えちゃうのがいいですよね。そこがケペルのラダメスとは違うとこですよステキ…!!)
いずれ、ケペルとの穏やかな日々を経て、アムネリスにも、ラダメスとアイーダのあの盲目的な恋を、わだかまりなく許せる時が来て、そこで漸くあの三角関係にも最終決着がつく。
ファラオとなったアムネリスを隣りで支えるケペルの存在があるからこそ、アムネリスの辛い経験も、ラダメスへの叶わぬ恋もいずれ(若い日の切ない恋の思い出というには重過ぎるけれど、けれど)、ひとつの思い出に昇華していくわけで。
ああすごい萌えます。ケペアムダイスキ。うっとりーv
ところが、中日版では、アムネリス様にとって救いだった、あのケペルの存在が無くなってしまった。
中日嶺ケペルは、自分のことで精一杯で、アムネリス様どころじゃないもん(笑)(嶺ケペルはそこがいいんですけどね。嶺ケペルも好きなんですよ)。
ラダメスは、アムネリスのことかけらも相手にしないまま死んでいったし、もうなんだか、救いが無さ過ぎて痛々しいです、中日アムネリス様。
もうあの先、恋なんてできなさそうだもん。夢も希望もない。
って、そんなのやだっ!
アムネリスがかわいそうすぎるー!
というわけで。
中日王家は、私にとっては、3人の恋物語ではなく、2人の恋物語(+かやの外の人ひとり)でした。
そんでもって、そのかやの外の人が痛々しすぎるんで、見ていてちょっと辛いというか、カタルシスが得にくいというか……もごもごもご。
ぶっちゃけ、初演で萌えに萌えた「アムネリスのラダメスへの恋」に、今回はまったく萌えられませんでした。(それは檀ちゃんのせいでもどのキャストのせいでもなく、観てる私のせいですけども)
けれどまあ、そのおかげで物語の筋立てがすっきりしたのも事実。
幕開け3500年後でエチオピア人たちが歌う「♪いま歌おう 2人の物語を 愛しあう2人の物語を」っていうのが、漸く私の中でストンとハマりました。
王家は、やっぱりラダメスとアイーダ、2人の話なんですよねえ。漸く気づいた。
今思えば初演版は、役が無いとか言われつつも、それでも(中日版よりは)群像劇に近い印象だったんですよね。
それはやっぱり、ウバルドとか、サウフェとか、キャラが(やたらと)立っていたからなんだろうな、と。
そういう意味でも、いろいろ不在を感じてしまった中日王家でした私にとっては。
それは、中日版のキャストがダメとかそういうわけではまっったくなくて、単に初演版への思い入れが強すぎるからです。為念。
っていうか。
ケペルなんて、端役じゃないですか(さくっと)。
本来的には居なくたってなんとでもなる役ですよ、ケペル。 こうやって「ケペアムあってこその王家!」とかいってる人も極少数いますがね。
まあそんな端役っぷりは重々承知でケペルウォッチをしているつもりだったのに、そんな端役のケペルの役作りが違うことで(もちろんそれだけではないにせよ)こんなにも物語の全体印象が変わるとは、しい担サトリは心底驚きました。
そして、あたしはどんなにしいケペルが好きだったか、いまでも好きか、ってこと、思い知らされました。
はーい、あたし結婚するなら、しいケペルさんみたいなひとがいいですー(素)。
(嶺ケペルがダメとかそういうわけではまっったくないですから為念!)(舞台写真も買いました。ケペメレカマサウのフィナーレ4人並びのやつ)
というわけで、次のテーマは「ケペルさんとたつきさん」です。えー?まだやるの? だって語るなら今しかないじゃん?
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